哀悼・根岸侊雄様




根岸さんから、お葉書を戴いたのはつい最近の事である。

県立文学館で、春から『山崎方代の特別展・右左口村は我が帰る村』が開催されていた。

関連行事として、講演会やら、座談会などがあった。

その折、大勢の人たちの中に、根岸さんらしき人影を見かけた。

御挨拶をと思いながら、見失ってしまったのが今となっては何としても悔やまれる。

間もなく、「鎌倉飯店」を病気の為にやめますと言うお葉書だったのである。

根岸さんは、鎌倉飯店の経営者で、長い間方代さんを優しく見守って来られた方である。

お葉書を戴いて間もないのに、余りにも早い訃報に驚いている。






鎌倉八幡宮の、すぐ前に有る”鎌倉飯店”
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 何年か前にお邪魔して、カウンター越しにお話を伺った。
美味しいラーメンを戴いたのは、言うまでもない。





手元の『無用の達人 山崎方代』田沢拓也著によると

歌人「山崎方代」が鎌倉の手広に越してきたのは47年の夏だそうだ。

根岸さんが、御自分の庭の一隅に4畳半のプレハブ住宅を立ててくれたからだ。

これが「方代艸庵」で、晩年まで共に暮らした。







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30年(1955年)には、すでに二人は出会っていて「鎌倉駅のベンチでごろ寝している人。

いつも酒臭く、腰ひもスタイルは特有だ。白っぽいワイシャツは着ているが、

髪は長くてぼうぼうだ。でもどこか惹かれる。親しみのある風情だ。」と

根岸さんは、出合った頃の方代さんを語っていたようだ。







方代没後は、「方代を語り継ぐ会」の代表として、『方代研究』の発行などに尽力していた。

上記展覧会の、オープニングセレモニーにも出席して、方代の思い出を語っていたと聞く。




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ここらあたりは相州鎌倉郡字手広艸庵の札下げて籠りたり    方代


「リヤカーに引っ越しの荷物を積んで越してきた。たたみ一畳もあればと思い来てみると、

ちゃんとした四畳半で、おまけに電気付きであるのには驚きであった。蝋燭ではなく明るい

電燈の下で歌が作れるなどとは思ってもみない事であった。罰があたりはしないかと心配

にもなってくる」と著書『青じその花』の中で方代さんは書いている。






根岸さん、どうか安らかにお眠り下さい。

方代さんの同郷の一人として心からお礼を申し上げ、ご冥福をお祈り致します。








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